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歴史が薫る場所。

将軍家に愛され、近代農学が生まれた駒場。そこにあるのは由緒と知性。

江戸時代、将軍家の狩猟場だった駒場。8代将軍の徳川吉宗は、この地で鷹狩りを楽しんだといいます。時代は明治になり、農業の近代化を進める政府は、狩猟場を開拓して駒場農学校を開設。この農学校は東京帝国大学農学部へと受け継がれ、やがて東京大学教養学部の開校へと繋がっていきました。こうして駒場は、文教の地として知られるようになります。また、昭和4年には現在の駒場公園の地に、前田家16代当主である前田侯爵の邸宅が完成。また柳宗悦により日本民藝館が開設されるなど、文化の薫りが高い地でもあります。

前田公爵邸跡

前田公爵邸跡

駒場の歴史や文化を、身近に感じられる施設。

歴史が刻まれ、文化が根づいた街、駒場。昭和42年、近代文学の貴重な資料を収集・保存するために「日本近代文学館」が開館しました。また、日用品の美を提唱した民藝運動の父、柳宗悦が収集した染織や陶磁器などが展示されている「日本民藝館」など、この地で受け継がれてきた歴史や文化を身近に感じていただける施設が揃っています。

日本近代文学館/日本民藝館

日本近代文学館/日本民藝館

古代より馬牧が行われ、良馬を産してきた駒場。江戸時代になるとここは、将軍家の狩猟場として利用されました。駒場野と呼ばれる、現在の東京大学教養学部がある辺りは当時、背の高い笹が茂り松林も残る広大な原野。獲物となる野鳥やイノシシなどの宝庫となっていたといいます。なかでも鍛錬と娯楽を兼ねた鷹狩りは数多く行われ、8代将軍吉宗の駒場野での遊猟は、15回を数えるほどであったといいます。

明治11年、明治政府による農業改革を受け、江戸時代には将軍家の鷹場であった駒場野に駒場農学校を設立しました。16万坪超の敷地には、農作物や種苗の栽培地のほか、家畜病院や気象台、園芸・植物園など農業におけるさまざまな教育・研究機関を配置。優秀な農学者を数多く世に送り出し、日本の農学の発展に大きく貢献しました。その後、農学校は東京帝国大学農学部となり、文教地区の礎を築いていきます。


前田公爵邸跡

昭和4年、旧加賀藩 前田家16代当主である前田利為侯爵は、約一万坪の敷地にイギリスの建築様式であるチューダー様式の洋館と、これと渡り廊下でつながった純日本風の和館を竣工させました。マツやケヤキなど、駒場野の自然をそのまま活かした奥庭は広大で美しく、前田侯爵邸は当時東洋一の大邸宅として称賛されていました。


東京大学(教養学部)

東京帝国大学農学部の敷地に、昭和24年 東京大学教養学部が設立されました。これを皮切りに、高い教育理念を持った学校が次々と開校し、都内有数の文教地区を形成。さらに、教育環境だけでなく潤いある生活環境の整備も進め、昭和42年には「駒場公園」、昭和61年には「駒場野公園」が開園し、緑豊かな住環境を築いています。

※掲載の環境写真は平成24年5月に撮影したものです。