播磨坂さくら並木(約330m/徒歩5分)
江戸時代の屋敷町の系譜を受け継ぐ、小石川四丁目の高台。春咲き誇る桜がまばゆい播磨坂から一歩奥へと入った、閑雅なる地。樹齢を重ねた大木が連なる一画に、『ディアナコート小石川翠景』は誕生します。描いたのは、都心とは思えない静けさと四季潤う成熟の環境につつまれ、ひそやかに佇む美邸。その静謐なる品格は、悠々と時を超え、次代へと受け継がれていきます。
天保十四年 大江戸大絵図/古地図提供 株式会社ビーマップ
エリア概念図
徳川家康が江戸城に入るとともに現在の文京区エリアは注目されるようになり、水戸徳川家の江戸上屋敷や松平播磨守の屋敷など、大名屋敷や武家屋敷が多く造られました。さらに、徳川将軍家の菩提寺である伝通院を始め護国寺、根津神社などの寺社が創建され、文京の地は由緒を深めていきます。さらに、武家屋敷と寺社を取り囲みながら、商業も発達をみせ、市街地としての活気を呈し、この地は発展してきました。
伝通院(約430m/徒歩6分)
小石川、本郷、麹町、牛込…。江戸城を中心に扇状に広がる高台の武家地には、明治維新以降、往時の名士、文人が移り住み、山の手と呼ばれる邸宅地が形成されていきました。史書を紐解けば、夏目漱石、坪内逍遙、幸田露伴など小石川ゆかりの先人も少なくありません。この地には、江戸から明治、そして昭和へと受け継がれてきた山の手の品格が、いまも色濃く漂っています。
播磨坂(約330m/徒歩5分)
小石川四丁目あたりには坂が多く、なかでも「吹上坂」と「播磨坂」は多くの人々に親しまれています。古く江戸の折、極楽水という湧き水が吹き上がっていたことから吹上という地名が生まれ、そこを通る坂道としてその名が付けられた「吹上坂」。そして、戦後の再開発において、常陸府中藩主松平播磨守の屋敷の跡地につくられ、いまでは約150本もの桜が見事に花開く「播磨坂」。いずれも多くの人に愛されながら、この地らしい景観をつくりだしている坂道です。
吹上坂(約230m/徒歩3分)
※古地図内の現地の場所は、当時のおおよその位置です。現在の地図とは多少異なる場合がございますので予めご了承下さい。
※掲載の環境写真は平成25年7月〜12月に撮影したものです。