タウンガイド

江戸から受け継がれる山手の御屋敷町「文京」

徳川家康が江戸城に入った天正18年(1590年)以降、江戸城下の開発が進められ、この文京の地もにわかに脚光を浴びることとなりました。そして、江戸時代初期、この地に大名屋敷や武家屋敷が置かれ、現在でも知られる護国寺、根津神社、伝通院などの神社仏閣が建立され次第にまちが形成されていきます。江戸の発展とともに江戸時代の中期頃には広い範囲で市街地化、商業もふくめ栄えたと言われています。

天保十四年 大江戸大絵図/古地図提供 人文社

由緒と華やぎを魅せ続ける、播磨坂。

小石川エリアの代名詞ともいえる「播磨坂」。二代目水戸藩主 徳川光圀の弟にあたる松平播磨守の上屋敷にちなみ、「播磨坂」と命名されたのが、この地のはじまり。昭和35年に坂と中央の遊歩道沿いに100本を優に超える桜の木を植樹。半世紀を超えた今も、早春に周辺一帯を見事な桜並木で華やかに飾る姿は、まさに圧巻の美景です。

播磨坂さくら並木
※掲載の環境写真は平成25年4月に撮影したものをCG加工したもので実際とは異なります。


有名校が集積する、都心屈指の文教の聖地。

明治時代に入り、文京区の前身「小石川区・本郷区」が誕生。江戸時代に文京区内の大半を占めていた広大な武家屋敷の跡地は、大学などの教育機関の敷地や軍用に転用されました。幕府の官学の府ともいうべき湯島聖堂、昌平坂学問所などが有名ですが、昌平坂学問所の敷地に東京大学が移転してきたことで、文教の街としての特色を強めたといえるでしょう。小石川エリアには東京学芸大学がありますが、その他にも筑波大学や御茶の水女子大学など名門校が数多く点在し、独特ともいえるアカデミックな空気が流れております。

エリア概念図

古からの歴史を綴る、緑深き森と寄り添う。

播磨坂の他にも、水戸徳川家の上屋敷内で寛永6年(1629年)に初代藩主頼房が手掛けた回遊式の泉水庭園「小石川後楽園」。貞享元年(1684年)に徳川幕府が「小石川御楽園」として開園。明治10年の東京大学設立時には教育実習施設として「東京大学大学院理学研究科付属植物園」となり、一般公開がなされた「小石川植物園」。甲府の柳沢家の下屋敷庭園「六義園」など、文京区は、都心エリアでありながら豊かな緑と歴史を今なお感じることができる貴重なエリアでもあるといえます。

01.東京大学 02.学芸大学付属竹早小・中学校 03.早稲田大学 
04.お茶の水女子大学 05.筑波大学付属小学校


01.播磨坂さくら並木 02.東京大学附属植物園[小石川植物園] 03.小石川後楽園
※掲載の環境写真は平成25年9月に撮影したものです

大名屋敷や武家屋敷が、軒を連ねた由緒の地。

山の手の内側、東京や大手町、新宿などにも程近く、恵まれた教育環境や高台の穏やかな住環境が享受できるこのエリアには、自然とステータスの高い人々が集まり、コミュニティが醸成されて参りました。事実犯罪発生率が23区内で一番低いなど、かつての御屋敷町に根付いている価値感は今も脈々と受け継がれております。



小石川SHOP情報

熟成肉を一度味わうと、その深い旨みとコクの虜になってしまった。美食家はもちろん、和洋問わず一流の料理人からもそのような声が聞かれる。高級熟成肉のみを扱う田園調布の名店がレストランをオープンした。

文京区小石川といえば、文教地区として知られる高級住宅街。住人には著名人も多くおり、そのせいか飲食店も名店が揃う。そんな中でも、ひときわ地元から愛されるイタリアンレストランがペッシェだ。

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