文京区界隈に息づく独特の風情は、江戸時代から醸成されてきました。
大名や武家が暮らした屋敷街、文人たちの創作拠点、近代建築の礎。
街並みの随所に、時代を超えてもなお色褪せない気品が感じられます。
萬延二年 本郷湯島繪圖 / 古地図提供「株式会社ビーマップ」
かつては現在の本郷三丁目交差点あたりまでが江戸城下とされ、栄えました。周辺には加賀藩上屋敷(現在の東京大学)・水戸藩上屋敷(現在の小石川後楽園)といった大名や武家の屋敷が軒を連ね、さらに湯島天満宮をはじめ数々の寺社が点在。今なお見られる、それらの遺構が街の由緒を物語っています。
享保年間、現在の本郷三丁目交差点角で歯科医の兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)が歯磨き粉を販売。後に「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれるようになりました。
上京した石川啄木は現在の文京区内に居を構えました。
蓋平館別荘跡や切通坂などに置かれた歌碑から
夭逝した歌人の想いが偲ばれます。
自然主義文学作家・徳田秋声は文京区を舞台とした作品を
数多く執筆。終焉を迎えた本郷の旧宅は都の史跡に指定され、
今もその姿を残します。
文京区は坂の街として知られ、本郷にも多く見られます。
鐙坂の由来には「鐙職人の子孫が住んだ地」や
「形が鐙のよう」などの説があります。
文京区は多くの文人たちが創作活動を行った地として知られています。はじめに、炭団坂上に暮らした坪内逍遥が日本の近代文学の理論書であり、原点とされる『小説神髄』を発表。その後、夏目漱石・樋口一葉・石川啄木などが文京区を拠点に数多くの作品を執筆しました。近代文学史に名を連ねる文豪たちが交流を重ね、語り合い、刺激し合いながら名作を生み出した舞台です。
石川啄木
樋口一葉
坪内逍遥
日本キリスト教団本郷中央教会
求道会館
明治・大正期の建物が多く残ることも本郷界隈の特徴です。東京大学のキャンパスをはじめ「求道会館」「さかえビル」「鳳明館本館」など趣き深い建物が見られ、文化財に指定されたものもあります。